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2026.8.19(Wed) | 日々の記録

【不登校①〜教室に行けなかった私は、学校から外れていたのか※3部作です】

篠原 理奈

【不登校①〜教室に行けなかった私は、学校から外れていたのか※3部作です】

幼少期から虫を捕まえたり、サッカーをやったり男の子と遊ぶことが多く、活発だった私、

幼稚園時代と小学校時代に計約3年海外の園や学校に通ったことも合わせて、当時からだいぶ浮いていました。

もちろん小学校の頃も男子に誘われてサッカーのキーパーをやったり、野球やって保健室前の窓ガラスを割って、叱られたり、それはそれはまあ絵に描いたような昭和のお子様でした。

小学校では体も大きく、よく食べる子だったので、周りの少食な子から食パンなどをもらい16枚食べたことも

ランドセルも当時は珍しくワインレッドだったので、「茶色いカバン!の男女!」と揶揄われたりもしました。

男子と喧嘩してお腹殴られたり、縄跳びで叩かれたりしたことも

だからといって小学生時代は学校に行きたく無いと思ったことはなく、いじめた相手に向かって行って、結局数日後には普通に遊んでいました。

小学校は振り返ると色々あったけど、高学年は担任にも恵まれとても楽しかったです。

「学校に行きたくない」と思い始めたのは、中学校に入学してからです。

入学式、女性の少しふくよかなニコニコした担任、友達と「優しそうな担任で良かったね」と喜んでいた数ヶ月後、まるで悪夢のような中学校生活が始まります。

担任の怒鳴り声が響き、ビンタが飛び交う教室、こともあろうことか、よりによって、室長なんぞになってしまったため、自習中の全責任を負わされ、おしゃべりをしている子を注意しようものなら、その子から、「お前先生に媚び売ろうと調子にのってんじゃねぇぞ」と言われる始末、板挟み…

刃向かえばビンタ、

大人しくしていたら村八分、

何かあれば5人組制度、

居場所は徐々に無くなっていきました。

教師が悪いのはわかっている、けど立ち向かえば殴られる。

最初は2日おきに登校していたのが、次第に3日おき、1週間おきになっていきました。

生き延びるために選んだのは、教室に行かないことでした。

極限まで辛いことがあると人間やはり心身に変化があります。

入学当初、吹奏楽部に入り、声が大きいからと剣道部の顧問にスカウトされ、掛け持ちしていたくらい体力も気力もあった私が、次第に食欲がなくなっていき、神経性食欲不振症(拒食症)になりました。

あの時代に学校に行かないことや、教室に行かないこと、家に1人でいることを許してくれた両親、両親にはあの頃も今でもとても恵まれているし、感謝しています。

しかも私のために学区を変えるために引越しまでしてくれました。

2年生の3学期から3年生の1学期は転校した中学校に、でも結局3年生の修学旅行はやっぱり元の学校の友人たちといきたいとなり、教育委員会と学校に話をしてくれて、卒業までバスで通いました。

また、3年生の担任は今でも尊敬しています。保健室に登校したら、教室に来なくても出席にするからと、あの当時では信じられないくらいの対応でした。

この時は中学校自体もかなり荒れていました。理科室の前の雑巾に火をつける、バイクを乗り入れる、先生を2階から突き落とそうとする、今の時代では映画にしか出てこない光景が広がっていました。

そんなこんなもありましたが、勉強は嫌いじゃなかったので、高校受験も無事合格しました。

②へ続く

※この記事は執筆者個人の考えや経験を綴ったものです。チーム明日の向日の統一見解を示すものではありません。

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